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総合整体院 コンフォート

総合整体院 コンフォート

出光静子の退院

絶食療法の意義について同書に書かれてある。

 

抜粋すると

一般的に、心身症は、身体、感覚、感情、思考、行動、環境などの諸要因が複雑に絡み合い相互に

を及ぼす形で、病的なホメオタシス(恒常性=病的なバランス)を維持していると考えられる

それゆえ、治療はこれらの各要因に個別的ではなく、同時に働きかけるのが理想的である。 

 

絶食療法は、

比較的短期間に、生体に急激なストレスを負荷を掛け、病的なホメオタシスを揺さぶる己調整

機能=自然治癒力の強力な発動を得て生体より健康なホメオタシスの再統合へと向かわせるもので

ある。

 

奏効のメカニズムは

身体的にはカロリー電解質の外部からの補給が断たれた為、生体のエネルギー源は糖質から体内蓄

積脂肪に転嫁せざるを得なくなる・・・・

 中略 

 脳組織もまた、その代謝エネルギーを糖質からケトン体に転嫁せざるを得なくなり、脳内の代謝過

程の変調が生じてくる。

すると同時期に脳波はα波の増加、徐波化などの変化を生じ、自律神経機能、内分泌機能にも広範

囲な変調をきたす。

 このような身体変化と並行して、依存性、被暗示性が高まると経験的に言われている微妙な意識の

変容状態が生じ、これまで病態になかば固着され、融通性を欠いていた意識は、微妙に柔軟性のあ

る視点を抱くことが可能となるのである

 

彼女が絶食期間中に受けた点滴には糖質だけが省かれていた。 

糖分が供給されないと、脳は代わりに脂肪を燃やすようになり、『素直で柔軟な脳に変わる』と彼

女は理解した。


平木医師も 

「貴方みたいに思い込みが強く、心身相関の認識もうすい、一般的な説明、説得ではとても受け付

けないような人にはその凝り固まった頭を柔軟にして、他人の話に素直に耳を傾けさせ治療するに

は”絶食療法“しかないと考えていました」

 

頑固のもには絶食を・・・ 

 

とにかく彼女は無事絶食期間を終えた。


最終日29日の日記には 

「療法に入る前は空腹と退屈に耐えればいいのかと思っていたが、激痛が隔日ぐらいに襲ってきて

とんでもない驚きだった」

 

後々、何が一番つらかったかと問われるたび彼女は「主訴の激化」と言われた痛みを思い出した。

その結果、空腹や情報カットの苦痛は減殺されたとも書いている

 

絶食の後5日の回復期間があり、その後通常の食事になり、それにつれ行動制限も解除される。


ただ絶食期間が終わったところで、まだ激痛の波は彼女を襲った。 

 

彼女は平木医師に 

「絶食してどんな変化が有ったというのだ」

と食って掛かった。しかし彼女がいくら悲憤慷慨しても彼は微動だにしなかった。 

 

「治療への第一歩は病気のからくりを知ることです。病気の本体は疾病逃避であること、その解決

には夏樹静子との別離が必要であること。


出光静子として有意義に生きる事。絶食して柔軟になったあなたの頭は、それを受け入れたではあ

りませんか。

 

疾病逃避による症状として腰や背中の痛みや異常、倦怠感などが発生した、それに対する治療法

がないまま、症状は遷延し、条件づけられ、固定し、自動化していったのです。


心の底に<座れない><痛くなる>などの悪いイメージが植えつけられ、その為に椅子に座ると条件反

射のように症状が出現するのです

 

悪い条件付けはとり省くことが出来ます。


その方法が、症状から逃げ出さず、ありのままを受け止める事です。


絶食療法中、一切の情報を断ち、なるべく注射も打たず、ほかに紛れようのない状態で痛みに耐え

させたのはその姿勢を見につけてもらうためでもあったのです。


症状を一足飛びに消そうとしても無理です。まず共存するすべてを体得する。


その次に症状が消えるのです。」

 

痛みは波状的に彼女を襲っては来ていたが、その波の間隔は遠くなり、以前はほぼ隔日に来ていた

もの24時間か36時間くらい穏やかな時が続き10時間ぐらい痛んで引いてゆくといったパターに変わ

り、明日からいよいよ普通食に戻る復食五日目の朝、214日いつも通り9時から訪室する平木医師

といつも通りベッドの上に正座して話した。


いつもは正座も長く続けられず、自然と片手をつき、その後横になるといったのがパターンだった

がその日は違った。


彼女は座ったまま話を続け、10分か15分だったか何か不思議なことが起こったみたいだった。


平木医師の視線もそれに気づいていたが、彼はそれには触れなかった。

 

その日の夕方、平木医師が


「夏樹静子のお葬式を出さないといけませんね。いつがいいですか?」


彼女は虚を突かれたかのように絶句した。


「出光静子と生き、夏樹静子を葬る、もう書かない」


と何度となく自分に言い聞かせてはいたが、まだきっちり覚悟が定まっていたわけではなかった。


だから彼女はうろたえた。


「ちょっと待ってくださいもう少し心の準備が・・・」


彼女は胸が詰まり涙が込み上げ言葉を途切らせた。


平木氏は


「私にはあなたが元気に成ってまた素晴らしい作品を書くという夢がある」


「葬式と入院、どちらが良いですか?」


「それは入院のほうが、入院ならまた会えますから」


彼女が答えると


「では入院でやってみましょう」


と平木医師は言った。


「夏樹静子を入院させたままあなたは出光静子とやってみる。


入院期間は1年、その間外出外泊は一切禁止、厳重な鍵をかけた部屋にあずかります。」

 

一年間の休筆を宣言した彼女の症状は、ゆっくり快方に向かったが、しばしば疲れや倦怠感に襲わ

れ一日何回もベッドに横になっていた。


228日の夕方


平木医師が


「明日から終日起きて一度も横にならないで生活してください」と言った。


彼女はひどく戸惑い、到底絶対に無理だと思った。

 

その夜の彼女の平木に出す日記には

 

無理と思ってしまうから無理なのだと言われるかもしれないが、それはまるで今日まで1ートルの

バーをやっと飛んでいたハイジャンプの選手にいきなりバーを2メートルに上げて跳べというような

もので、


中略


先生が原因は何であれ、私の現在の現実の症状をあまりにも軽く受け取っていらしゃるのではない

かという悔しさと苛立ちすら覚えた。


朝から晩まで、掛けるか、座るか、立つか、動くか、で過ごせるなら全快も同然であり。


それが出来るなら私は明日退院して明後日から原稿を書きますよ。


(最後に)まあ、でも試しにやってみますがとなっていた。

 

さてその翌日


彼女は一日一回も枕に頭を当てることなく過ごせた。

 

31日家族が呼ばれ経過説明と、一年間の休筆に対しての協力の要請がされた。

 

38日夜の日記


胸がいっぱいでとても感謝の気持ちは書き尽くせません。


私は今、腰が痛くなくて呼吸している。椅子に平気で腰かけていられるというだけで、天にも昇る

ほどうれしいのです。


身医学、心療内科の治療として、私はどこに行ってもこれ以上は望めないということをして頂い

たと思っております。


ナースの皆様にも本当に良くしていただきありがとうございました。


入院続行中の夏樹静子の事なにとぞよろしくお願いします。

 

39


彼女は熱海から東京まで車の後部座席に座り、翌日飛行機の座席に腰掛け福岡まで帰っていった。

 

終わり



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